表彰・受賞歴
2006年
名古屋市スポーツ功労賞 市スポーツ奨励賞
2007年
文部科学省・国際競技大会スポーツ功労者顕彰
愛知県スポーツ功労賞
名古屋市スポーツ功労賞
2006-07年シーズン
スケーター・オブ・ザ・イヤー 東京運動記者クラブ・スケート分科会
など
幼少~2000年
8才でスケートを始め、門奈裕子コーチが教える名古屋市内のスケート教室に入会。同クラブには浅田舞・浅田真央姉妹らがいた。
1998年、全日本ノービス選手権Bクラスに出場し3位。
1999年の全日本ノービス選手権Aクラスで初優勝。
2000-2001シーズン、新横浜の佐藤信夫コーチに師事。2000年の全日本ノービス選手権Aクラスで2連覇を達成。続く全日本ジュニア選手権では3位となった。
2001-05シーズン
2001年の全日本ジュニア選手権で優勝を飾り、世界ジュニアGPファイナルでも優勝を果たす。国際大会ムラドストトロフィー(ジュニア)などでも優勝。特例で出場したシニアの全日本選手権、2002年の世界ジュニア選手権では共に初出場ながら3位。
2002年の全日本ジュニア選手権で2連覇を達成。連覇が期待された世界ジュニアGPファイナルでは3位に留まるも、女子シングル史上初の4回転ジャンプ(クワドラプルサルコウ)を成功させる偉業を達成。 2003年の世界ジュニア選手権では2位となった。
2003年、世界ジュニアGPファイナルでは2季ぶりに優勝し、全日本ジュニア選手権では4回転を成功させ、荒川静香以来史上2人目となった3連覇を達成。全日本選手権でも4回転を成功させ、村主章枝や荒川らトップスケーターを抑えて全日本初優勝を飾った。2004年の世界ジュニア選手権では3季連続表彰台に上がり初の金メダルを獲得、ISU世界ジュニア大会2冠を達成する。荒川が世界女王となったシニアの世界選手権では、初出場ながら4位入賞と好成績を残した。
2004-2005シーズンからシニアへ完全移行しGPシリーズに出場。シニア本格参戦でいきなりGPファイナル進出を果たし、全日本選手権では2連覇を達成。2季連続で出場した2005年の世界選手権モスクワ大会では6位となった。
2005-06シーズン
拠点をアメリカに移しキャロル・ヘイス・ジェンキンスに師事。3連覇がかかった全日本選手権では6位に沈んだものの、GPシリーズの代表選考ポイントでトップを維持しトリノオリンピック日本代表に荒川静香、村主章枝と共に選出された。
五輪前の年末に右足小指を骨折。本番前に完治したと語ったものの、鎮痛剤を服用しての100%ではない状態だった。髪をショートヘアにして迎えた本番、ショートではミスを連発し8位と出遅れる。フリーでは4回転ジャンプに挑むものの回転不足で転倒(練習でも成功率は僅か2割だった)、その後のジャンプでも次々と転倒し、総合15位と惨敗で終わる(荒川は金メダル獲得、村主は4位入賞)。しかし、安藤は順位を求めに来たわけではなく、4回転を跳びに来たと語っており、4回転にトライできて良かったと初の五輪を笑顔で締め括った。
五輪終了後、日本スケート連盟の特別強化選手から強化選手に一度格下げされたが、荒川静香のプロ転向で、再び特別強化選手に格上げ指定された。
2006-07シーズン
ニコライ・モロゾフに師事。さらに門奈裕子コーチの下でジャンプを基礎から作り直し、モロゾフの指導で体を絞って迎えたGPシリーズ初戦のスケートアメリカでは、ショート・フリー共に持ち技のトリプルルッツ-トリプルループのコンビネーションジャンプを決め、ほぼノーミスの演技を披露し、ショート首位だった浅田真央を逆転してGPシリーズ初優勝。パーソナルベストを大幅に更新し、当時歴代3位の高得点をマークした(荒川がトリノ五輪で金メダルを獲得した時のスコアをも抜いた)。続くエリック・ボンパール杯では、フリーで冒頭のトリプルルッツで転倒したが、ジャンプを立て直し、キム・ヨナに次いで総合2位に。3季連続でGPファイナル進出を果たす。ファイナルでは、ショートでパーソナルベストを更新し2位発進となったが、フリー当日に腹痛で体調を崩し、殆どのジャンプを跳ぶことができず1回転ジャンプとなるミスを連発。総合5位に終わり、同シーズンでは唯一表彰台を逃した。
12月28・29日に地元・名古屋で開催された全日本選手権では、ショートで2位発進となったが、演技中に右肩を脱臼した(全治3週間)。フリーでは、中盤のトリプルフリップで転倒、直後のスピンで再び右肩を脱臼するが、モロゾフコーチの「Go! Go!」のサインでストレートラインステップからラストのビールマンスピンもこなし2位を守った。2007年3月の世界選手権東京大会の日本代表に浅田真央、中野友加里と共に選出された。
3度目の出場となる世界選手権では、封印してきた4回転ジャンプに挑戦する意欲を見せていた。3月24・25日の本番、ショートではパーソナルベストを更新して2位発進。フリーで最終滑走となった安藤は、事前のモロゾフコーチの判断で4回転ジャンプは試みなかったものの、パーソナルベストを更新するほぼノーミスの演技で浅田真央を僅差で抑えて総合1位。荒川静香以来3年ぶり、日本人歴代4人目の世界女王となった。翌日、歌手の絢香が生で歌う中でエキシビションを行った。世界選手権の金メダル獲得により、前年のオリンピックシーズンの不調から完全復活を遂げた。
オフシーズン中には、北米のアイスショー「スターズ・オン・アイス」に招待され、4月5日からカナダで行われた7公演に参加。団体戦ジャパンオープンでは、トリプルフリップで転倒したものの、女子個人成績1位で日本チームの2連覇に貢献した。